2014年11月10日月曜日


●五月の「聖母月」考●


 五月はカトリック教会では「聖母マリア」にささげられた「聖母月」です。なぜ、五月が「聖母月」になったのか、聖母と五月の関係を、ある植物の学名にヒントをもらって、考えてみました。

 ◆植物図鑑◆
 ぼくは植物図鑑を3,4種類使っています。平凡社の大図鑑、保育社の図鑑シリーズのものがメインですが、この二種類は専門家も同定に使う図鑑ですが、保育社からは、一般の植物愛好家向けのものも出されています。北隆館から出されている「牧野植物図鑑」は絵がよくないのが欠点です。ほかにも大図鑑はいくつかあるのですが、基本的には上にあげた二つが双璧でしょう。
 さて、ここで話題にするのは、保育社から一般愛好家向けに出ている植物図鑑です。タイトルは『野草図鑑』(初版1984年)。山野にふつうに見られる野草を集めたものです。これは、長田武正氏の同定と解説、奥さんの長田喜美子さんの写真という、珍しい夫婦合作の図鑑です。実際には八冊を全部を持ち歩くことは難しく、簡単に描いたスケッチや撮ってきた写真や特徴のメモ書きをもとにして、家で同定するほかありません。けれども、ここには、夫婦の植物をもっともっとよく知ってほしいという切実な願いがあふれています。好著、と言えばいいでしょうか。全八巻あるすべての巻末に、テーマごとに植物学についての解説がわかりやすく書かれているのも、好感が持てます。別冊として索引と植物用語を解説のある小冊子が付属します。
 第一巻「つる植物の巻」を開いて、その巻末を見てみると、そこには「植物入門入門観察講座1」として、葉の形態についての説明がなされています。さらにその後ろには、「植物学名の話」として、リンネによって創意・工夫された二名法や種小名のラテン語などが解説されているのです。

 本文では、各植物名にそのラテン語学名が併記され、その読み方がカタカナで書かれているだけでなく、種小名のもつ意味が簡単に書かれています。現在では、一般愛好家向けであっても、和名、別名に、学名が併記されている図鑑はごくふつうになりましたが、当時として画期的なものでした。
 と、ここまでほめあげておいて、次は問題となった学名をあげつらうことになるのですが、けれども、その学名の訳語のまちがいこそが、今回のお話しのきっかけをつくってくれたものだったのです。



 ◆学名の意味にあったまちがいがきっかけ◆

 それは、この『野草図鑑』の第4巻「タンポポの巻」でした。そこには「アキノキリンソウ」の学名について、こんな風に書かれていたのです。
Solidago virga-aurea var. asiatica ソリダゴ ウィルカアウレア(黄金の乙女) 変種 アシアティカ(アジアの)(『野草図鑑』④「たんぽぽの巻」P85)
 これは初版でのことです。あるいは、後に訂正されたかも知れませんが、その点については確認していません。最近は書店でもまったく見かけませんので、あるいは絶版になったのかも知れません。それはさておき、いずれにしてもこのラテン語学名の訳語が、今回のお話しのいちばんのポイントなのです。 つまり、この種小名“virga-aurea”の訳語に問題があったのです。
 この図鑑では、「黄金の乙女」と訳していますが、これは明らかなまちがい。実際は「黄金の笏」という意味です。「笏」とは王などが手に持つ権力や権威を示す象徴としての棒のようなものを言います。そのまちがいは、この図鑑を見た当初にすぐに気づいたのですが、ずっと今まで、五月と「聖母月」との結びつきのヒントにはならないままでいました。この間から、五月を聖母月にするには何かいわれがあったのだろうか? という疑問が、急に心を占めるようになって、はっと、このまちがいのことを思い出したのです。
 訳語のまちがいが、ぼくにあるひらめきを与えたのです。


 ◆「アキノキリンソウ」と「アキノキリンソウ属」◆


 本題に入る前に、この花のこと、学名のことをちょっと書いておきましょう。
 日本でふつうに見られる「アキノキリンソウ」はヨーロッパ北西部から大ブリテン島にかけて山野にふつうに見られる「ヨーロッパアキノキリンソウ」を母種としています。変種名は、そのアジア版であることを説明しているのです。母種から若干の変異をとげたもの、と言うのが変種名の意味です。さて、その母種の学名、“Solidago virga-aurea”は、ヨーロッパでも古くから知られた植物でした。属名と種小名による二名法を開発した、かのリンネ自身がこの学名を付していることからも、そのことがわかります。
 今、属名と言いましたが、この「属名」は“Solidago(ソリダゴ)”、日本語学名は「アキノキリンソウ属」です。この属の植物は北米大陸にかなりの種が分布しているようです。そのうちの二種類は日本でも有名ですね。
 その理由は、太平洋戦争後、米軍によって日本にもたらされた外来植物として、他の在来植物を駆逐しながら日本で大繁茂してしまったからです。今では、日本国内いたるところで、ふつうに見られる雑草となってしまっています。その代表格が、やはり黄色い花を密生するセイタカアワダチソウ(学名 Solidago Altissima ソリダゴ アルティッシマ)と、オオアワダチソウ(学名 Solidago gigantea var. leiophylla ソリダゴ ギガンテア レイオフィルラ)です。頭花の密生する様子が遠目には黄色の泡を立てたように見えると言うことから、この名がつけられたものです。、秋の野のあちこちに黄色い花を咲かせます。
 なお、「アルティッシマ」は「最も高い」という意味で、音楽用語の「alto(あると)」でおなじみの“altus(アルトゥス)”=「高い」、「深い」などの意味=の形容詞の最上級、というわけです。一方の「ギガンテア」は英語の“giant(ジャイアント)”と同じ意味です。なお、その変種名として“var.”の後についている「レイオフィルラ」は「滑らかな葉をもった」という意味です。


 ◆“virgo”=処女=と、“virga”=若枝=◆


 さて、この種小名に間違った訳をつけたことについては、ラテン語をいくらか知っている人ならだれでも、大きな理由があったということがすぐにわかります。ほかでもありません。とてもよく似た言葉があるからです。
それは、“virgo(ウィルゴ)”という名詞です。これこそが「乙女」の意味の言葉なのです。英語のァージン“virgin”に当たるものです(というより語源なのですが)。 と言えばもうわかるでしょう。
 アキノキリンソウの種小名の、“virga-aurea”の“virga(ウィルガ)”とは、ほんの一字違いなのです。しかも、この“virga”の、「笏」の意味は派生的なもので、もともとは「若枝」「挿し木」などの意味をもっている言葉なのです。詳しく書けば、「今年新しく伸びた、緑の葉の新芽におおわれた、鮮度の高い枝」ということになります。
 この名詞は“viere(ウィエーレ)”=「緑色をしている、新鮮である、まだ一度も使われていない状態である」などの意味をもつ=という動詞から派生したものです。これは想像にすぎませんが、「乙女」の意味をもつ“virgo”もまた、この動詞にかかわるものではないでしょうか。「新鮮で、未使用である」という意味も含まれているからです 。また、この動詞からは「緑の」、「若々しい」と言う意味の“virens(ウィーレンス)”や“viridis(ウィリディス)”という形容詞も派生しています。「緑の枝」が萌え出す時節にふさわしい言葉です。

 つまり、「乙女」の意味の“virgo”も「緑の新芽をもった若枝」の“virga”も同根の単語だと考えると、「聖母月」が五月とされてきた意味が分かるように思われるのです。五月はヨーロッパでは、新しい枝が伸び、新芽が伸び、あるいは花のつぼみを膨らませる季節です。“virga”の五月を、“virgo”の五月と連想し、関連づけようとするのは、人間にふつうの心理なのではないでしょうか? 日本では「聖母マリア」という呼び方がふつうですが、ヨーロッパでは「ノートルダーム」という呼び名や「乙女マリア(Virgin Mary)」などのような呼称が一般的ですから、“virgo”=乙女マリアを連想するのは不思議なことではありません。

 ◆ヨーロッパの二元論的発想と日本の一元的感性◆

 これは余談ですが、あるいは、ヨーロッパでは、「聖母マリア=神の母」であることと「乙女マリア=聖処女」であることとは、一体のものとして認識することにある種の抵抗があるのかも知れません。一種の使い分けをしているような感じを見受けます。日本人の場合はあるいは、最初から「乙女マリア」という認識そのものが欠落してしまう傾向にあるのでしょうか? 隠れキリシタンがなぞらえたという「慈母観音」には、「聖処女」のイメージはまったく付与されていませんから、案外このあたりに、ヨーロッパと日本との女性観の違いが現れているのかも知れませんね。 もともと日本人は女性の処女性を大して重要視しておらず、むしろ生産との深い関連を感じさせる母性のほうにこそ、女性の本質を見ようとしていたのかも知れません。
 ヨーロッパでは、「母性」と「処女性」とを、「永遠の乙女にして神の母マリア」としてどちらかというと二元的なものの統一体を観念としてとらえるのに対して、日本では、あるいは二元的なものの統一という発想は、生まれ得ないものだったのかも知れません。二元的なものの統一ではなく、二元的なものの一方を他方に無媒介的に吸収してしまうか、最初から統一体とすることをあきらめて、一方を完全に切り捨てて平気でいられる、という感性をもっているのかもしれません。

 このことは、日本人の自然観にも大きな問題をはらませることになった、とも言えるでしょう。対立項となる二つのものの闘争と統一あるいは止揚という発想がないために、ずるずると自然破壊が連続する、ということにおいて。
●「十字架の道行き」と花の名●



 キリスト教の「復活祭」は毎年変わりますが、だいたい4月に迎えます。遅くとも5月初旬、早くとも三月下旬。そしてその前の金曜日は「聖金曜日」で、イエスが十字架上で亡くなられたことを偲ぶ日であります。イエスが十字架上で亡くなられる前には、十字架を自ら背負わされて、カルワリオへの道を歩まれました。「カルワリオ(Calvario)」はラテン語で、「されこうべ、頭蓋骨の地」の意味です。正式には“Calvariae locus(カルワリアエ ロクス)”と言います。ヘブライ語では「ゴルゴタ」。

 さて、この道行きの途上で、イエスはさる婦人に出会います。
 このことについては、『新約聖書』のいずれにも書かれていません。ただ、四旬節の間に行われる「十字架の道行き」の祈りには、この婦人のことが現れています。この「十字架の道行き」は全部で15の場面に分けられています。その第六番目。


 「イエス、ベロニカから布を受け取る」という場面です。
 ここで、血だらけになっているイエスの顔をぬぐいます。けれども、ぐいぐいと力強くぬぐうのではなく、そっと顔に押し当てるように、その血を布に吸わせます。あまりにも痛々しいその顔には、そっと当てるほか方法はなかったのでしょう。
 こうして、「イエスの御顔のままに御血でかたどった聖布」=「ベロニカの布」がどこかに存在するというのが、キリスト教の伝承として残りました。あくまでもイエスにまつわる伝承の域を抜けるものではありませんが、まことしやかに信じられてきたことも事実です。「十字架の道行き」が始まったのはずっと後の時代ですから、そのとき、作られた物語であったのかも知れません。




 ところで、ここは「自然誌」がメイン・テーマですから、その本題に入りましょう。



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ミヤマクワガタ(クワガタソウ属/ゴマノハグサ科、尾瀬ヶ原)



 さて、この伝承のベロニカにちなんだ属名をもつ植物があるのです。とはいえ、日本語で属名を書いても、なんにもなりません。ここはラテン語属名を書かねば、話が続かないのです。
 それが、あのご婦人の名前がつけられた「ベロニカ属」なのです。日本語表記には反映されていませんが、その綴りは“veronica”。ラテン語読みでは「ウェロニカ」になるのですが、英語読みすると「ヴェロニカ」となります。クワガタソウ属は“veronica”なのです。ヨーロッパのクワガタソウ属の花に、血でかたどったイエスの顔を思わせるものがあるようですが、ぼくは残念ながらその花がどれであるかを知りません。
 手元にあるイギリスの植物誌“Flora Britanica(フローラ・ブリタニカ)”などで見る限り、ヨーロッパには、ここに写真を載せている「ミヤマクワガタ」と同種のものはないようです。よく似たものに、“veronica montana(ウェロニカ・モンタナ)”がありますが。


 ついでながら、クワガタソウ属の花を英語では“speedwell(スピードウェル)”と呼びます。この場合の“speed”は「スピード、速さ」の意味ではなくて、これから旅立つ人に手向けるときに使う言葉です。“God speed you !”などと使います。「神のご加護を祈ります」とか「ご成功を祈ります!」と言うほどの意味でしょうか。
 ヨーロッパの代表的な種には、“Germander Speedwell(ジャーマンダー・スピードウェル)”というのがあり、アイルランドでは、この花をその衣服に縫いつけてその人の幸福を願うという習慣があったそうです。ヨーロッパでは別名“Bird's eye”(「鳥の目」)や、“Eye of the Child Jesus”(「幼きイエスの目」)、“Farewll(フェアウェル)”(「さようなら」)というものなどがあります。日本でよく見られる「オオイヌノフグリ」によく似た真っ青な花を咲かせますので、和名では、「ヨーロッパイヌノフグリ」とでも呼べばいいでしょうか。 でも、「イヌノフグリ」は「犬の殖栗(ふぐり)」、つまり「犬の陰嚢」という意味の名前です。日本とヨーロッパのネーミングの感覚の、この天と地ほどの違いは、どこから来たのでしょうか?
 花の青さを、「天上の青さ」と見る感覚が、この花が幸運をもたらすことを思わせたのでしょうか? ヨーロッパでは、花の青さは空の青さ、天の青さになぞらえられます。日本の高山に咲くミヤマハナシノブという花の母種はヨーロッパにあるのですが、その学名は、天の青さを思わせる名になっています。“Polemonium caeruleum(ポレモニウム・カエルレウム)”。“Polemonium”は和名では「ハナシノブ属」です。“caeruleum”は「天の」という意味です。この学名もまた、花の色が天の空の色を思わせることによります。
 ハナシノブは英語名は、“Jacob's Ladder(ジェイコブズ・ラダー)”、つまり「ヤコブのはしご」と言います。ハナシノブの葉の様子がはしごに似ていることから名づけられました。この「「ヤコブのはしご」は、『旧約聖書』の『創世記』28章にある「ヤコブの夢」に出てくるはしごにちなんで名づけられたものです。



 「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって延びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。」(『創世記』28章12節)



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ミヤマハナシノブ(北岳/白根御池付近)




 日本名「オオイヌフフグリ」は、学名では“Veronica persica(ウェロニカ・ペルシカ)”と言います。“persica”は「ペルシャの」という意味ですから、「ペルシャからやってきた花」と言う認識だったのです。日本では明治時代半ば頃に、日本にも存在することが確認されました。ヨーロッパからの輸入品に混じって、明治の早い時期に日本にやってきたようです。日本在来の「イヌノフグリ」は、この「オオイヌノフグリ」の蔓延によって、絶滅寸前になっています。外来種ですが、日本ではいたるところに見られます。特に畑地の近辺、あるいは休耕田、放棄された田畑にはふつうに見られますし、春一早く花を咲かせますので、日本ではこの花は春を告げる花の一つになっています。 

2014年11月3日月曜日

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ユリ科の花:ヤマユリ=かつては箱根を代表する花だった。箱根恩賜公園で/撮影:水尾 一郎

●ユリ科の花にはいろいろなものがある●

 ◆「ユリ科」と言えばやはり、「ユリ」◆

 「ユリ」と言えば、「白百合」、「小百合」などの言葉が浮かんでくるように、「ユリ科」の花の代表は、やはり、「ユリ」。と言っても、ただ「ユリ」という名の「ユリ」はない。
 いずれも、 「○○ユリ」と名づけられている。たとえばこんなユリ。
 クルマユリ、コオニユリ、スカシユリ、ヒメサユリなどは、白くないユリ。白いユリとしていちばんポピュラーなのが、テッポウユリ。これは種子島から南、琉球諸島に自生するユリで、シーボルトが球根を持ち帰り、瞬く間にヨーロッパの白いユリ市場を席巻した、というエピソードのあるユリである。
 それまでは、ヨーロッパでは「ユリ」と言えば、小振りで愛らしいあるひとつの「ユリ」だけしかなかったのが、この白いテッポウユリのおかげで、もとからあった「ユリlは「マドンナリリー」と名を改めることになってしまった。


 けれども、この「マドンナリリー」は、その名の通り、聖母マリアのユリとされ、バチカン市国の国花となっているもの。テッポウユリは豪華な感じがあるので、キリスト教の最大のお祝いである、「イースター(復活祭)」を飾るものとして、用いられるようになったため、ヨーロッパではこれを「イースターリリー」と呼ぶ。
 「マドンナリリー」は愛らしく清楚で控えめなおもむきをもちながら、高貴な気分をただよさせているので、聖母のお祝いを中心に今も用いられることがある。けれどもこの「マドンナリリー」の最大の弱点は、かなり温度管理が難しく、かんたんに栽培できないこと。イタリアや南仏は「よし」としても、球根栽培の盛んなオランダなど、ヨーロッパの北半分では難しい。それにひきかえ、琉球などの温暖な地方に産しながらも、テッポウユリは、オランダでもそれほど困難なく栽培できるために、急速にヨーロッパの主流を占める「白いユリ」となった。


 白いユリというわけではないが、テッポウユリよりもさらに大きな白地のユリ、「ヤマユリ」が日本には産する。純白色の地に、黄色の帯と、鮮紅色ないし紅紫色の斑点が無数についている花冠。真っ白ではないところが、聖なる用途にはあまり使われない理由なのだろうか、とにかく背丈も花柄も大きい。
 たとえば、大井川鉄道で、南アルプスのふもとの山里に進んでいくと、農家の庭先、切り通しの斜面、あちらこちらに、背の高い、株立ちしたいくつもの花茎の先に、さらに二つ、三つと枝分かれして大きな花を咲かせている。
 あるいは、東武日光線の今市市駅の手前当たりだったろうか、その辺りから、線路沿いにこの花が咲くのが見られる。真夏の高原の花、とでも言おうか。箱根の強羅一帯は、この花の大群生地だったという。今はその面影もなく、国道一号沿いや、恩賜公園の中などに、ちらほら見られるだけになった。丹沢もその数はかなり減ってしまった。


 ◆こんなのもまた「ユリ科」です◆

 ユリ科の仲間には、我々の身近にあるものも含まれる。
 ネギの類がいずれもユリ科。ネギ、ニンニク、ニラなどが身近な野菜。もっともこれらは日本原産ではなく、どれも中国からわたってきた。日本原産としては、ギョウジャニンニクやノビルが自生する。
 ユリ科の野菜では、ほかにアスパラガスがある。ヨーロッパ原産の野生のアスパラガスはかつては牛馬の好む食物だったという。ギリシア時代には薬用植物とされていたようで、学名にも「officinalisオフィキナーリス」とあって、これは「薬用の」という意味の形容詞。日本には江戸時代末期に観賞用のものがオランダから渡来したとある。食用にするものは明治4年に「北海道開拓使」の庭に植えられたのが最初、とされる。


 最近人気のあるカタクリもユリ科。カタクリについては、このところ熱心なファンが急増していて、蘊蓄を傾けたい御仁も少なくなさそう。で、その人たちにカタクリの講釈は任せておくことにしよう。

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ユリ科の花:カタクリもユリ科。花被片は3の倍数の6枚。おしべ6つ、めしべの柱頭は三裂する。子房は3室に分かれていて、各室に9個ずつの種子が入っている。


 ◆ユリ科の植物は「三数性」が支配する◆

 ユリ科の植物は、「単子葉植物」に分類される。その名のとおり、子葉の数が1枚。葉は見るからに「双子葉植物」とは違い、平行脈をつくる。割合に光沢もあって、葉の縁はすっとしている。つまりぎざぎざや切れ込みのないものがほとんど。切れ込みのある葉を持つ単子葉類には、サトイモ科かヤマノイモ科がある。ユリ科の葉はいずれも葉の縁にぎざぎざや切れ込みはない。
 また、花は3か3の倍数で構成される。めしべが一個でも、その先が3つに分かれていたり、子房が3室になっていたりする。もちろん、おしべは6個というのが最も多い。
 花びらを、単子葉植物では「花被片」と呼び、たとえば、アヤメなどの仲間では、外側に大きく垂れている外花被片3枚、内側にすくっと立っている内花被片3枚とで構成される。花柱も先端部分は3つに分かれていて、内花被片より大きな裂片をその柱頭部から開いている。


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アヤメ科の花:ノハナショウブ。花被片の中央奥に黄色い部分があることに注目。花菖蒲はこの花から品種改良された。そのため、野の花菖蒲という意味の「ノハナショウブ」と名づけられた。学名も、それを示しているが、そのことは以前に書いた。箱根湿生花園で。/撮影=水尾 一郎


 先にあげたヤマユリでは、花被片6枚、おしべ6個。花被片6枚と言っても、わずかながら外側につく3枚(外花被片)と内側につく3枚(内花被片)とに分けられる。めしべは花柱ひとつ。柱頭は分かれてはいないが、子房の中は3室に分かれている。

 世の中に真っ白な美しい花は少なくないけれども、ユリの白い花が、たとえばイースターや聖母マリアの祝日を飾る花として珍重されたのは、実はこの三数性の支配する花の持つ聖なる力を信じるところからだったに違いない。「三」には神秘の力があると信じられていた。イエスは十字架で死して三日目に復活している。キリスト教の神は「三位一体」として、三数性に支配されていることを示している。
 その「三」によって構成されているユリは、当然、聖なる花と見られることになる。
 ユリの英語名は“lily”だが、そのもとになったラテン語名“lilium(リリウム)”は、さらにケルト語にまでさかのぼることができるという。そのケルト語の意味は、「白い花」だという。
つまり、ヨーロッパ南部などの地中海沿岸地方を中心に、「白い花」を代表する花と言えば「リリー(lily)」だったのである。 それが、先にも述べたように、今は「マドンナリリー」と呼ばれるようになったのは、もっと素敵な白いユリ、日本のテッポウユリが、ヨーロッパ中に広まったためだった。

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ユリ科の花:ショウジョウバカマもユリ科。花被片は6枚。おしべも6本。/撮影=水尾 一郎
●「ムシカリ」と装飾花●

 「ムシカリ」という名の木があります。六月から七月にかけて、少し高い山々に白い花を咲かせます。スイカズラ科ガマズミ属の野生の木ですが、その変わった和名の由来はあまりよくわかっていません。江戸時代の『本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)』(小野蘭山著)には、同じスイカズラ科ガマズミ属の「ガマズミ」の地方名に「ムシカリ」と言うのが記載されています。その地方名は「虫で枯れる」の意味の言葉がなまったものだと言われていますが、それもあまり定かではありませんし、その木の花の特徴から、ここに掲げた「ムシカリ」とはまるで別物であることがはっきりしています。

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ムシカリ:上高地/撮影=水尾 一郎
大きく五弁に開いた白い花が「装飾花」。本当の花は、いくつもの「装飾花」に囲まれて咲いている小さな花々。別名「オオカメノキ」とも言い、スイカズラ科ガマズミ属の低木で、山の比較的深いところに生える。関東地方なら標高が1200m以上に生えるが、北へ行けばもっと低いところにもたくさん見られる。


 よく目立つ5枚の花びらを持つ外側のいくつもの花には、実はおしべもめしべもありません。この本来の花と異なるものは、「装飾花」と呼ばれ、昆虫を引き寄せる目印の役割をしていると考えられています。一見して5枚に見えますが、その根元ではひとつにくっついて合弁花になっています。このたくさんんの「装飾花」に囲まれて、その内側に小さな両性花を多数つけるのです。両性花もまた、5弁には見えますが、「装飾花」と同じく、花びらの根本のところでひとつにつながっているのがわかります。スイカズラ科の花はいずれも合弁花なのです。
 ラテン語学名は“Viburnum furcatum(ウィブルヌム フルカツム)”。“Viburnu”はガマズミ属、“furcatum”は「二つに分岐した」「二叉の」という意味で、若枝の伸び方に、一見してこのような特徴が見られることから名付けられたもののようです。

 関東山地の奥多摩に、三頭山という山があります。中腹に東京都の「都民の森」が広がる山ですが、その山頂直下にはこの植物の名を冠した峠があります。まさに「ムシカリ峠」と言い、なるほどたしかに、この周辺には「ムシカリ」が多数自生しています。また、その低木の下には、都下でも有数のレンゲショウマの群落があって、7月頃には、その薄紫の花をいくつも見せてくれます。この頃、レンゲショウマを見るために、多数のハイカーが訪れます。(奥多摩でレンゲショウマの群落が名高いのは御岳山ですが、こちらは七月の下旬頃にレンゲショウマ祭りが開催されます)。


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レンゲショウマ:三頭山ムシカリ峠/撮影=水尾 一郎
学名:Anemonepsis macrophylla(アネモメプシス マクロフルラ)。キンポウゲ科レンゲショウマ属の日本特産の花。大きく開いている花びら状のものは萼片。真ん中で下向きに壁のように突っ立っているのが花弁。この花弁に囲まれておしべが多数林立し、そのさらに中央にめしべがある。


 別名の「オオカメノキ」は、その葉が亀の姿に似ているからだと言われていますが、こちらのほうも、本当のところはよく分かっていません。

●「装飾花」の持つ意味と進化●

 この花は、受粉ためのポリネーター(送粉者)を呼び寄せるために、「装飾花」を真の花の周囲にいくつもつけて、ちょっと目には、いかにも無駄なコストを割いているように見えます。同じ合弁花でも、ツツジの仲間などは、よく目立つ大きめの花に、甘い蜜までつけてやって、送粉者を招きます。受粉を助けてくれるお礼に、蜜をあげようというのです。けれども、「装飾花」のある花では、中心部にある真の花は蜜を出しません。
 これは、「ムシカリ」が、他の顕花植物の進化とはほんの少しだけ違った進化の道筋をたどったことを表していますが、その最大の要因を、エネルギーコストの問題として考えることができます。


 植物が花を咲かせることは、植物にとって多大なエネルギーの消費をもたらします。植物にはもうひとつ、植物体そのものを強化し、大きくして、自然の変化に耐えられる体にするために使うエネルギー消費があります。
 けれども、なんと言っても植物の最大のエネルギーコストは繁殖のために用いられるものです。本来は、どの植物も、自分の子孫である種子の産生ということに、全エネルギーを集中したいのです。
 そこで、植物はつねに自己の植物体の強化と維持、保全のために、自ら光によって生産するエネルギーの一部を少しずつ割きながら、そのエネルギー消費とうまくコストバランスできるようにして、種の繁栄に全力を注ごうととするのです。


 虫媒花では、花粉の運び手を呼び寄せることが、重要な子孫形成と繁殖のための戦略のひとつとなっていますが、そのためによく目立つ大きな花やおいしい蜜を提供するというのが、一般的なこれらの顕花植物≒虫媒花の進化の方向でした。けれどもそのエネルギー消費はかなりの高負担となります。中でも特に高カロリーな蜜を産生することには、非常なコスト負担を強いられるのです。
 「ムシカリ」などの「装飾花」の戦略は、一見無駄なように見えても、高エネルギーを必要とする蜜を産生するコストに比べたら、こちらの方が安上がり、ということなのだと考えられるのです。「ムシカリ」など、比較的冷涼な気候のところに進出した植物の場合、低木であるが故に潤沢な日光に恵まれないという条件の中で一定の繁栄を得るためには、こうした繁殖のためのエネルギーの節約も重要なアドバンテージを与えてくれたのでしょう。
 この「装飾花」戦略は、「ムシカリ峠」という名がつけられるほどの繁栄をもたらし、大きな成功を収めました。三頭山や「都民の森」にいらっしゃる節は、どうぞ、そんな「ムシカリ」のことも思い出してやってください。


●装飾花をつける花:アジサイとその仲間●

 さて、「装飾花」をつける植物のことをもう一つ。「装飾花」をつける植物は、日本では、あじさいの仲間(ユキノシタ科アジサイ属)に多く、園芸品種のあじさいのもとになった野生の「ガクアジサイ」はもちろんんこと、これによく似た「ヤマアジサイ」、あるいはまた「「タマアジサイ」、「ガクウツギ」、「ノリウツギ」などにも特徴的に見られます。梅雨空の庭先で、花びらの色を微妙に変える園芸品種のあじさいに、人はその装飾花を楽しみ、愛でているのです。
 なお、「ハイドランジア」と呼ばれる「西洋あじさい」は、日本の園芸品種がもとになって品種改良されたものが再輸入されたものです。日本でも江戸時代にはすでに、園芸品種としての改良が行われていたのですが、その日本のあじさいを持ち帰ったイギリスのキュー植物園など、ヨーロッパ各地の植物園で、多くの品種改良が加えられました。ヨーロッパ人は派手で豪華な花を好むため、「ハイドランジア」は、そのような方向に改良されました。再輸入された「ハイドランジア」=「西洋アジサイ」の花が総体的に大きく、豪華に見えるのはそのためです。


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ツルアジサイ:ユキノシタ科アジサイ属=撮影:水尾 一郎
Hydrangea involucrata


●春の花、日本のスミレたち●

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オオバキスミレ=上高地にて。

 ◆俳句や和歌の上のスミレ=すみれ(菫)◆

 日本の春には、スミレがよく似合う。
 芭蕉の俳句にもある。


 山路来て なにやらゆかし すみれ草

 この「すみれ」は何であろうか?
 マンジュリカであろうか、ノジスミレかオカスミレか?
 当時、「すみれ」といえば「すみれ色」の花を指していたようだから、白や黄色の「すみれ」ではあるまい。すみれには、白い種類も少なくないのである。
 復本一郎氏の『芭蕉歳時記』(講談社選書メチエ)によれば、この「すみれ」は「摘むすみれ」という、それまでの伝統に一石を投じたものだという。歌の伝統では、「すみれ」はただ野辺に観賞するものではなく、実際に「若菜摘み」のように「摘むための花」であったという。その例として次の歌も上げられている。(P59~P62)


 たしかに、たとえば『新古今集』には能因法師の次の歌がある。

 いそのかみ ふりにし人を 尋ぬれば 荒れたる宿に すみれ摘みけり(1684)

 ここでは、「すみれ」は「住む」と掛詞になっているのだが、それはさておき、「すみれ」は摘んでどうしたのだろうか? 食べることはないだろうから、もちろん飾ったのであろうが、どのようにして、どこに飾ったのだろう? 浅学にして不明である。
 『千載集』には源顕国の次の歌もある。ここに「つぼすみれ」とはあるが、これは現在の真っ白に赤紫の模様のある「ツボスミレ」とは異なるのであろう。この歌の「つぼすみれ」は、
「すみれ」の名が「壺状の墨入れ」=「菫壺」からの由来であることを匂わせるものであって、やはりこれは「すみれ色」でなくてはなるまい。やはり、マンジュリカかノジスミレ、あるいはオカスミレのたぐいであろう。

 道とをみ 入野の原の つぼすみれ 春のかたみに 摘みて帰らむ

 さて、文学乗りはこの辺でよして、植物としての「すみれ」に入ろう。植物学的に語るときには、これまでの「すみれ(菫)」は「スミレ」となるのである。


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スミレサイシン=上高地にて


 ◆日本のスミレは、スミレ科スミレ属の一属のみ◆

 スミレはスミレ科Violaceae(ウィオラケアエ)というファミリー(=科)に属する花の総称である。世界的には、温帯から熱帯にかけておよそ16属850種ほどが知られている。日本には、しかしながら、このスミレ属(viola=ウィオーラ)のみが自生する。しかも、ヨーロッパにあるような「三色スミレ」タイプはなく、日本産のもので園芸種に取り入れられているスミレはひとつもないようである。
 スミレ属1属とは言っても、日本にはおよそ50種があるとされる(平凡社『日本の野生植物』)。いがりまさし氏の『日本のスミレ』(山渓ハンディ図鑑6)には、変種レベルまで含めて93種が収録されており、変種や亜種の数がかなり多いこともこのスミレ属の特色である。また、他の種どうしかけあわさった雑種(交雑種)も多様である。雑種は子孫をつくらないが、このような頻繁な交雑種の出現は、スミレ属の種の多様性をつくり出す一因となっていると見なすこともできる。

 世界的に見ても、このスミレ属(ウィオーラ)だけで400種を数えており、進化の上では、スミレファミリー全体の成功と言うより、もっぱらこのスミレ属1属の成功と言ったほうがいいのだろう。
 たとえば、東北地方の水田のあぜに群れ咲くツボスミレ(ニョイスミレ)を見ると、その理由がよくわかる。ツボスミレは人間の水田耕作に随伴するようにその生息範囲を広げてきたのである。ツボスミレは白い花弁の一つ(唇弁)に、赤紫色の文状の筋が入っている。小さい花だが、かがみ込んでのぞき込むとなかなかの色白美人である。いかにも東北の水田に似つかわしい。とは言え、その群生はなかなかのもの。色白美人の大パレードなのである。
 フモトスミレは、おもしろいことに、人の歩く道をその生息地としている。奥多摩の大岳山などには、春たけなわの頃、登山者のためにつくられている木の階段の陰に、上手に人に踏まれないようにしながら、点々と花を咲かせるのである。フモトスミレは、人のあまり入らない荒れ地や樹林には、まったく姿を見せない。人が開いた道際に咲くのである。


2_2 エイザンスミレ=奥多摩・御前山 

 ◆スミレの進化。繁殖戦略の成功◆

 スミレの進化的な成功には、スミレの受粉の方式が非常に柔軟であることが寄与したと考えられている。
 実は、スミレ1属には、春先から初夏にかけて花を開くあのスミレの花のほかに、この花が終わってしばらくしてから、夏の頃にひっそりとつける花がある。花は花なのであるが、咲かない花である。これを「閉鎖花」と呼ぶ、花を開かないまま、花粉をつくり、自分の花粉を自分の雌しべの柱頭につけてしまう。つまり「自家受粉」。
 もちろん、花をちゃんと開くほうの花(「開放花」と言う)でも受粉はする。けれど、こちらはもっぱら「他家受粉」用の花。「他家受粉」とは、自分の花粉では受精しないで、他の花の花粉で受精すること。「他家受粉」では、異なる遺伝子をもつ花どうしがかけあわさることになるわけだから、それによってつくられる種子は、遺伝的多様性を獲得する。
 一方の、「自家受粉」では、遺伝子は自分のものだけ。つまり、こちらはいわば自分の「クローン」をつくるようなものである。

 これはどういう意味があるか。
 天候が順調で、春先もちゃんと日が照り、雨もほどほどであるような年には、スミレは、たくさんのエネルギーを手に入れられるので、ふんだんに、いわば贅沢にエネルギーを使って花を咲かせ、花粉を運んでくれる虫たちを誘うための甘い蜜をたくさんつくって、花の奥の方に蓄える。
 こうして、送粉者たちが媒介したことによってつくられる遺伝的多様性の豊かな次代の種子を準備することができる。
 けれども天候が不順だったり、異常気象に見舞われて、充分な日照を手に入れられないときはどうするか?
 エネルギーを徹底的に節約するのである。
 遺伝的多様性の維持、獲得は一応置いておいて、子孫をつくることだけに専心する。贅沢なことは言っていられないから、とにかく最小限のコストで花を付け、最小限のコストで種子をつくる。それが「閉鎖花」である。
 せっかく「開放花」を開いて昆虫を待っても、あるいはその昆虫たちに異常事態が発生していて、「他家受粉」がうまくいかないこともあるだろう。長い、長いスミレファミリーの歴史には、そのようなことは何度もあったろう。
 そのときのための「閉鎖花」である。
 スミレ科の植物の最古の現存する化石は、今からおよそ3千万年以上前までさかのぼれるそうである。その3千万年を超える進化の歴史が開発した繁栄の戦略がこれ。この二段構えの受粉作戦こそ、スミレ1属の成功の秘訣であった。


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ナガバノスミレサイシン=奥多摩・御前山


 ◆スミレは随伴植物として成功した◆
 
 さらにもう一つ、彼らには特徴的な繁栄戦略があった。
 彼らはできうる限り人間の生活圏にぴったりくっついて、自らの生息域を拡大しようとしてきたのである。それによっていっそうの種の繁栄を追求する、というしぶとい戦略である。開放花と閉鎖花という二段構えの受粉戦略と、人間の活動域に積極的に随伴するという戦略の二つは、彼らの繁栄にとっては、両輪の車であった。鬼に金棒だったのである。
 それが先に書いた田のあぜのツボスミレたちの成功、というわけである。
 けれども、人間世界への随伴戦略ゆえに、種の存亡の危機に瀕しているスミレもある。たとえばスミレ愛好家には「マンジュリカ」と呼ばれて好まれるすっぴんの「スミレ」である。この種は、都市圏では最近あまり見られなくなった。特に大都市近郊では、この「スミレ」の自生種をまったく見かけることがない。あんまりにも人間の活動圏に間近に随伴しすぎて、かえって種の維持を危うくしてしまったように思われるのである。とすれば、人間の生活域があまりにも人工化されてしまったことが災いしているのであろう。
 今、住宅のコンクリートが打たれたところと道路との間の細い隙間など、人間の生活域の悪条件下で顔を出すスミレは、「ノジスミレ」という種がほとんどである。これは、色といい、形といい、「スミレ」によく似ているので間違えることも多いが、よくのぞき込むと、その花影には「スミレ」のようなりんとした風格が足りない。こちらのほうが「スミレ」より匂いが強いと言われているが、匂いのほとんどないものもあるので、違いを見分けて同定することはかなり難しい。
 とは言え、「ノジスミレ」が街中でよく見られるのは、こちらのほうが「スミレ」よりも、人工的環境にわりあい強いからであろう。「スミレ」はもう少し野生的な環境が好みのようである。
 スミレ=viola mandshurica(ウィオーラ・マンジュリカ)は、「満州の」という意味の形容詞が種小名の植物。今では死後となった植民地名の「満州」であるが、実はこんなところに残っていた。学名はいったん決めると、変えることができないのがきまりであるので、この名は将来も残る。
 ノジスミレ=viola yedoensis(ウィオーラ・エドエンシス)は、「江戸産の」という意味の形容詞を種小名にもつ。それだけ市街地に適応できる種であるということであろうか。


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ニョイスミレ(ツボスミレとも)=丹沢三ノ塔尾根にて。


 ◆スミレには大きく分けて二つのタイプがある◆

 スミレには、地上茎のあるタイプと地上茎のないタイプとがある。
 地上茎のあるタイプとは、根から茎が出ていて、その茎から葉や花が出ているものである。普通に見られる植物のタイプと言ってもいい。一方の地上茎がないタイプはつまり、その茎がなく、葉や花の茎が直接根から伸びているものをいう。
 
 地上茎あるタイプの代表が、タチツボスミレ。学名はviola grypoceras(ウィオーラ・グルポケラス)。grypocerasはギリシア語起源の言葉を二つ組み合わせたもので、「鍵のある角の」という意味を持つ種小名である。花の後ろに伸びる距の形から命名されたようである。
 タチツボスミレには変種や品種が多い。牧野富太郎が、箱根の乙女峠で発見してオトメスミレと名づけた白い花を咲かせるものもあり、各地でそれぞれの土地に適合した多様な姿を見せる点でも、おもしろい種である。さらに、交雑種を作ることが多いことからも、日本のスミレ属の進化の中心的な役割を担っていると考えられる。


02_4 タチツボスミレ=丹沢山地にて。地上茎のあるタイプである。

 スミレサイシンとフモトスミレは地上に茎がなく、直接根から葉や花が出るタイプである。
 ここに掲げたスミレサイシンは、主に北陸、東北の日本海側の雪の多い地方に分布するもので、上高地で撮ったもの。関東地方から九州にかけての太平洋側に分布するのは、葉が長いタイプの、ナガバノスミレサイシンである。スミレサイシンの「サイシン」は「細辛」で、漢方薬の「細辛」に葉形が似ていることから名づけられたもの。
 学名は、viola vaginata(ウィオーラ・ワギナータ)で、種小名は「さや状の」という意味の形容詞。托葉がさや状になっていることから名づけられた。


04 フモトスミレ=御前山にて。登山道に沿って咲くことが多い。

 フモトスミレは先に説明したもの。
 和名に「麓」がどうしてついたのかはわからない。小型ながら気品があって愛らしく、ぼくの二番目に好きなスミレである。学名はviola siebodi(ウィオーラ・シエボルディ)で、何とあのシーボルトの名が冠せられている。シーボルトが標本としてライデン大学に持ち帰ったものの一つなのであろう。
 これが二番目であるから、一番好きなスミレのことを書かねばなるまい。それはアケボノスミレという種である。写真は、フォト欄に掲載しておくことにした。このアケボノスミレはスミレサイシンの仲間で、ほのぼのとしたピンク色が、ぼくにはほのかに恥じらう乙女に見えるのである。葉が開くか開かないかで、もう花を咲かせるのもこのスミレの特徴で、その人気は高いようである。早春のスミレの代表であろう。


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アケボノスミレ=最も美しいスミレの一つ。奥多摩に多い。
 
         生藤山にて。
 ヘンデルの作曲した“Ombra Mai Fu(オンブラマイフ)”。は、紀元前のペルシア王、クセルクセス1世をテーマとしたヘンデル作曲の“Serse”の冒頭の曲です。現在は男性のカウンターテナーか、女性のメゾソプラノまたはソプラノで歌われます。

 どうしてここにHandelの作曲した歌が現れるかって?
 それはこれが「木陰」を歌った歌だからです。
 題名の“Ombra mai fu”をそのまま訳すと、「どこにも蔭はない」となります。その「蔭」というのが、クセルクセス1世が愛した木の蔭、というのです。

 まぁ、ちょっと息を抜いて、彼女の歌を聴きながら、ペルシアの暑い気候の中で、やさしい木陰を与えてくれた木が何であったか、ちょっとご覧くださいませ。

 歌詞は、次の短いフレーズが数回繰り返されるものです。


 Ombra mai fu,       蔭は決して存在しない
 Di vegetabile,       その木(植物)の
 Cara ed amabile,     親しみ深く かつ やさしい
 Soave piu?         これ以上に心地のよいのは?


 右に直訳的に訳語を書いてみました。
 クセルクセスが、一本の木を見上げながら、あるいはその木肌をさすりながら、その木が与える木陰を賞でて歌うのです。


 この木が投げかける蔭のように
 親しみ深く、愛しい蔭は、
 決してひとつもないのだ。
 これ以上に心地よい蔭は。


 クセルクセス1世がそうやって歌いかけた木は、Platanus orientalis(プラターヌス オリエンターリス)であるとされています。まさにバルカン半島やアケメネス朝ペルシアの国域が原産地とされている木、スズカケノキ(鈴掛の木)です。日本ではプラタナスとも言われますが、日本で一般にプラタナスと呼ばれているのは、北米大陸が原産のPlatanus occidentalis(プラターヌス オクシデンターリス)、アメリカスズカケノキ(アメリカ鈴掛の木)です。とはいえ、その樹形や葉の形がよく似ているので、ふつうにはあまり区別されていないようです。
東京の新宿御苑のフランス庭園やイギリス庭園には、P. orientalis と北米のP. occidentalisとが並木のようにして植えられていますから、葉っぱなどを見比べることができます。

 日本の街路樹には、この2種類のプラタナスのほかに、もう一種、モミジバスズカケノキが植えられています。モミジバスズカケノキは「モミジバ(もみじ葉)」というだけあって、もみじの葉によく似ています。イタヤカエデの葉の縁にぎざぎざ(「鋸歯」と言います)をつけたような形をしています。
 プラタナス並木を見かけたら、落ち葉を拾ってあちこちのものを比べてみると、違いがわかってくるかもしれません。ペルシアなどが原産の P. orientalisの葉の切れ込みが一番深いのですが、やっぱり、お近くの植物園や樹種名の札のかかっている公園で比べてみるのがいちばんです。

 これからプラタナスの落ち葉のシーズンですから、拾い集めてみるとおもしろいですね。
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 何の花に見えますか?
 白い花びらの中心部が暗赤色。おしべが花柱のまわりに張り付いているようです。花柱の頭部が五裂してます。
 どこからどう見ても、アオイ科の花、それもフヨウ属の花によく似ています。

 フヨウ属と言えば、属名にもなっているフヨウ(芙蓉)や、ムクゲ(木槿)、あるいはタチアオイ(立葵)といったところが思い浮かびますが、それらの花に本当によく似ています。

 この花こそ、タイトルにもある通り、オクラの花なのです。

 オクラが野菜として日本に入ってきたのは明治のかなり早いうちだったようです。『西洋蔬菜栽培法』(1873年刊)にはすでに記載があり、そこでは、アメリカから導入された野菜として紹介されているそうです。  
 
 このオクラ、同じアオイ科フヨウ属ですから、園花が似ていて当たり前ということなのでしょう。さて、そのフヨウ属のラテン語属名は Hibiscus。
 ラテン語では「ヒビスクス」と読むほかありませんが、英語風に読むと「ハイビスカス」。つまり熱帯の花として有名なハイビスカスが、この一属の代表選手というわけです。
 マレーシアでは国花とされ、ハワイ州では州花、沖縄市では市の花として定められているのですが、いずれも野生のものの交雑によってつくられた園芸品種をそのように定めているということのようです。

 先に野菜としてのオクラは明治の初めにアメリカから入ったという記録があると書きましたが、元々の原産地はアフリカのようです。

 ですから、オクラについては、アフリカのオクラのことを見なければいけません。
 けれども、ぼくはアフリカには行ったことがありませんから、文献を見てみるほかありません。といっても「文献」などという大それたものでなくても、わりあい身近なところにオクラについて紹介した文章がありました。

 それが『サバンナの博物誌』という小さな本です。川田順造という民族学者・文化人類学者が書き記したアフリカ見聞録ですが、これがちくま文庫(1991年)におさめられています(もともとは単行本。1979年刊)。


 この本の一番最初が「バオバブ」。つまり、アフリカで名高い、というより、『星の王子さま』で有名になったというほうが正しいのでしょうけれど、そのバオバブの木について書かれています。
 その次が「オクラ」にあてられているのです。ちなみにこのあとには「ホロホロチョウ」、「サガボ」、「スンバラ味噌」、「バターの木」、ササゲと、まぁ、食べ物の話が続きます。もちろん、著者自身が現地の人といっしょに普段食したものばかりです。
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 単行本はだれかに借りて読み、その後も感銘深く長く心にとどまっていました。それから10年ほどしたころでしょうか、偶然文庫になっているのを書店で発見して、ためらうことなく買ったというのが、写真の文庫本です。
 今はわが家の積ん読ですが、思い出深い、大切な積ん読です。
 ですから、この本はぼくの「宝物」のようなものです。


 著者が数年を過ごしたアフリカ、ガーナ北部のモシ族の集落には、三種類のオクラがあることが分かるといいます。そのひとつが日本人も食べる野菜のオクラというわけです。少し引用してみましょう。

 一つは、日本でオクラとかガンボとか、アメリカネリとも呼ばれている実をならせる植物 Hibiscus esculentus で、モシ族のことばでマーナという。実を、主食のサガボにつけるおつゆ、ゼードに入れる。アフリカでは、たいそう古くから作られていたらしく、エジプトで紀元前二千年紀にすでに栽培されていたらしい。(P20L2~L5)

 紀元前二千年から栽培されていたというオクラです。
 原産地がアフリカでなくてどこだと言えましょうか。

 モシ族は、三種類在るオクラの仲間のいずれも、生活に欠かせないものとして利用していると、著者は書いています。オクラはもっぱら食用ですが、他の二種類のうちの一つは茎の皮から繊維をとって綱を作りと言います。その茎の繊維を使う種類であっても、若葉は食用にされるそうです。もう一つは花の萼の部分を乾燥させて、主食にほのかな酸味を付ける香草として用いる、ということです。
 オクラ一族とのかかわりの深さが印象づけられる文章です。
 そのかかわりの深さゆえでしょうか、オクラについてはモシ族に伝説があるそうです。その伝説とは、モシ王朝の始祖となる王女の話です。
 王様がその娘の王女をなかなか結婚させないので、庭にオクラを植えて、その身を採集しないまま放置しおきます。王が娘にたずねると、今のわたしはこのオクラの実と同じです、と言ってさめざめ泣いたのだそうです。それでも結婚を許さない王に愛想を尽かして、ついに王のもとを離れてサバンナの原野の中で勇壮な狩人の男と結ばれ、その二人のあいだにできた子どもが、モシ族の始祖になった、というのです。

 なぜ、娘の王女は庭にオクラをつくったか?
 それを知るために、もう1個所著者の文章から引用しておきましょう。


 サバンナで暮らすあいだ、私も庭にオクラを作ったことがあるが、摘んでも摘んでも、おもしろいようにあとからあとから実がふくらんでくる。(P23L4・L5)

 どんどん食べ頃になってしまういくつものオクラの実。
 それなのに、まるで摘まずにおいたらどうなるでしょう? 娘の王女はそのような暗示を父王に見せたのでした。
 またそれだから、モシ族のあいだでは、オクラは多産の象徴のように見られていると言います。そして、モシ族の新婚の花嫁へのはなむけの言葉には、「オクラみたいに子供をたくさん産むように」というのがあるんだそうです。


 属名の Hibiscus はローマ時代のこの属の花の花名です。種小名のほうの esculentus は「食用になる」、「食べられる」という意味の形容詞(男性形単数)。
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 オクラの花の近くで咲いていたニラの花もついでに上げておきましょう。
 こちらはユリ科ネギ属。学名は、Allium tuberosum。
 種小名の tuberosum (ツーベロースム)は「でこぼこした、こぶの多い」という意味の形容詞(中性形単数)。根茎が塊茎状となっていることから。
 一方、属名の Allium(アルリウム)は、ニンニクのローマ時代の古名 Alium(アーリウム、Allium とも綴った)からとられたものです。

 花にとまっている吸蜜中の蝶は、ベニシジミです。日本の平地ではどこにでも見られるシジミチョウの仲間です。