2014年11月3日月曜日

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 何の花に見えますか?
 白い花びらの中心部が暗赤色。おしべが花柱のまわりに張り付いているようです。花柱の頭部が五裂してます。
 どこからどう見ても、アオイ科の花、それもフヨウ属の花によく似ています。

 フヨウ属と言えば、属名にもなっているフヨウ(芙蓉)や、ムクゲ(木槿)、あるいはタチアオイ(立葵)といったところが思い浮かびますが、それらの花に本当によく似ています。

 この花こそ、タイトルにもある通り、オクラの花なのです。

 オクラが野菜として日本に入ってきたのは明治のかなり早いうちだったようです。『西洋蔬菜栽培法』(1873年刊)にはすでに記載があり、そこでは、アメリカから導入された野菜として紹介されているそうです。  
 
 このオクラ、同じアオイ科フヨウ属ですから、園花が似ていて当たり前ということなのでしょう。さて、そのフヨウ属のラテン語属名は Hibiscus。
 ラテン語では「ヒビスクス」と読むほかありませんが、英語風に読むと「ハイビスカス」。つまり熱帯の花として有名なハイビスカスが、この一属の代表選手というわけです。
 マレーシアでは国花とされ、ハワイ州では州花、沖縄市では市の花として定められているのですが、いずれも野生のものの交雑によってつくられた園芸品種をそのように定めているということのようです。

 先に野菜としてのオクラは明治の初めにアメリカから入ったという記録があると書きましたが、元々の原産地はアフリカのようです。

 ですから、オクラについては、アフリカのオクラのことを見なければいけません。
 けれども、ぼくはアフリカには行ったことがありませんから、文献を見てみるほかありません。といっても「文献」などという大それたものでなくても、わりあい身近なところにオクラについて紹介した文章がありました。

 それが『サバンナの博物誌』という小さな本です。川田順造という民族学者・文化人類学者が書き記したアフリカ見聞録ですが、これがちくま文庫(1991年)におさめられています(もともとは単行本。1979年刊)。


 この本の一番最初が「バオバブ」。つまり、アフリカで名高い、というより、『星の王子さま』で有名になったというほうが正しいのでしょうけれど、そのバオバブの木について書かれています。
 その次が「オクラ」にあてられているのです。ちなみにこのあとには「ホロホロチョウ」、「サガボ」、「スンバラ味噌」、「バターの木」、ササゲと、まぁ、食べ物の話が続きます。もちろん、著者自身が現地の人といっしょに普段食したものばかりです。
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 単行本はだれかに借りて読み、その後も感銘深く長く心にとどまっていました。それから10年ほどしたころでしょうか、偶然文庫になっているのを書店で発見して、ためらうことなく買ったというのが、写真の文庫本です。
 今はわが家の積ん読ですが、思い出深い、大切な積ん読です。
 ですから、この本はぼくの「宝物」のようなものです。


 著者が数年を過ごしたアフリカ、ガーナ北部のモシ族の集落には、三種類のオクラがあることが分かるといいます。そのひとつが日本人も食べる野菜のオクラというわけです。少し引用してみましょう。

 一つは、日本でオクラとかガンボとか、アメリカネリとも呼ばれている実をならせる植物 Hibiscus esculentus で、モシ族のことばでマーナという。実を、主食のサガボにつけるおつゆ、ゼードに入れる。アフリカでは、たいそう古くから作られていたらしく、エジプトで紀元前二千年紀にすでに栽培されていたらしい。(P20L2~L5)

 紀元前二千年から栽培されていたというオクラです。
 原産地がアフリカでなくてどこだと言えましょうか。

 モシ族は、三種類在るオクラの仲間のいずれも、生活に欠かせないものとして利用していると、著者は書いています。オクラはもっぱら食用ですが、他の二種類のうちの一つは茎の皮から繊維をとって綱を作りと言います。その茎の繊維を使う種類であっても、若葉は食用にされるそうです。もう一つは花の萼の部分を乾燥させて、主食にほのかな酸味を付ける香草として用いる、ということです。
 オクラ一族とのかかわりの深さが印象づけられる文章です。
 そのかかわりの深さゆえでしょうか、オクラについてはモシ族に伝説があるそうです。その伝説とは、モシ王朝の始祖となる王女の話です。
 王様がその娘の王女をなかなか結婚させないので、庭にオクラを植えて、その身を採集しないまま放置しおきます。王が娘にたずねると、今のわたしはこのオクラの実と同じです、と言ってさめざめ泣いたのだそうです。それでも結婚を許さない王に愛想を尽かして、ついに王のもとを離れてサバンナの原野の中で勇壮な狩人の男と結ばれ、その二人のあいだにできた子どもが、モシ族の始祖になった、というのです。

 なぜ、娘の王女は庭にオクラをつくったか?
 それを知るために、もう1個所著者の文章から引用しておきましょう。


 サバンナで暮らすあいだ、私も庭にオクラを作ったことがあるが、摘んでも摘んでも、おもしろいようにあとからあとから実がふくらんでくる。(P23L4・L5)

 どんどん食べ頃になってしまういくつものオクラの実。
 それなのに、まるで摘まずにおいたらどうなるでしょう? 娘の王女はそのような暗示を父王に見せたのでした。
 またそれだから、モシ族のあいだでは、オクラは多産の象徴のように見られていると言います。そして、モシ族の新婚の花嫁へのはなむけの言葉には、「オクラみたいに子供をたくさん産むように」というのがあるんだそうです。


 属名の Hibiscus はローマ時代のこの属の花の花名です。種小名のほうの esculentus は「食用になる」、「食べられる」という意味の形容詞(男性形単数)。
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 オクラの花の近くで咲いていたニラの花もついでに上げておきましょう。
 こちらはユリ科ネギ属。学名は、Allium tuberosum。
 種小名の tuberosum (ツーベロースム)は「でこぼこした、こぶの多い」という意味の形容詞(中性形単数)。根茎が塊茎状となっていることから。
 一方、属名の Allium(アルリウム)は、ニンニクのローマ時代の古名 Alium(アーリウム、Allium とも綴った)からとられたものです。

 花にとまっている吸蜜中の蝶は、ベニシジミです。日本の平地ではどこにでも見られるシジミチョウの仲間です。

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