2014年11月3日月曜日

●春の花、日本のスミレたち●

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オオバキスミレ=上高地にて。

 ◆俳句や和歌の上のスミレ=すみれ(菫)◆

 日本の春には、スミレがよく似合う。
 芭蕉の俳句にもある。


 山路来て なにやらゆかし すみれ草

 この「すみれ」は何であろうか?
 マンジュリカであろうか、ノジスミレかオカスミレか?
 当時、「すみれ」といえば「すみれ色」の花を指していたようだから、白や黄色の「すみれ」ではあるまい。すみれには、白い種類も少なくないのである。
 復本一郎氏の『芭蕉歳時記』(講談社選書メチエ)によれば、この「すみれ」は「摘むすみれ」という、それまでの伝統に一石を投じたものだという。歌の伝統では、「すみれ」はただ野辺に観賞するものではなく、実際に「若菜摘み」のように「摘むための花」であったという。その例として次の歌も上げられている。(P59~P62)


 たしかに、たとえば『新古今集』には能因法師の次の歌がある。

 いそのかみ ふりにし人を 尋ぬれば 荒れたる宿に すみれ摘みけり(1684)

 ここでは、「すみれ」は「住む」と掛詞になっているのだが、それはさておき、「すみれ」は摘んでどうしたのだろうか? 食べることはないだろうから、もちろん飾ったのであろうが、どのようにして、どこに飾ったのだろう? 浅学にして不明である。
 『千載集』には源顕国の次の歌もある。ここに「つぼすみれ」とはあるが、これは現在の真っ白に赤紫の模様のある「ツボスミレ」とは異なるのであろう。この歌の「つぼすみれ」は、
「すみれ」の名が「壺状の墨入れ」=「菫壺」からの由来であることを匂わせるものであって、やはりこれは「すみれ色」でなくてはなるまい。やはり、マンジュリカかノジスミレ、あるいはオカスミレのたぐいであろう。

 道とをみ 入野の原の つぼすみれ 春のかたみに 摘みて帰らむ

 さて、文学乗りはこの辺でよして、植物としての「すみれ」に入ろう。植物学的に語るときには、これまでの「すみれ(菫)」は「スミレ」となるのである。


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スミレサイシン=上高地にて


 ◆日本のスミレは、スミレ科スミレ属の一属のみ◆

 スミレはスミレ科Violaceae(ウィオラケアエ)というファミリー(=科)に属する花の総称である。世界的には、温帯から熱帯にかけておよそ16属850種ほどが知られている。日本には、しかしながら、このスミレ属(viola=ウィオーラ)のみが自生する。しかも、ヨーロッパにあるような「三色スミレ」タイプはなく、日本産のもので園芸種に取り入れられているスミレはひとつもないようである。
 スミレ属1属とは言っても、日本にはおよそ50種があるとされる(平凡社『日本の野生植物』)。いがりまさし氏の『日本のスミレ』(山渓ハンディ図鑑6)には、変種レベルまで含めて93種が収録されており、変種や亜種の数がかなり多いこともこのスミレ属の特色である。また、他の種どうしかけあわさった雑種(交雑種)も多様である。雑種は子孫をつくらないが、このような頻繁な交雑種の出現は、スミレ属の種の多様性をつくり出す一因となっていると見なすこともできる。

 世界的に見ても、このスミレ属(ウィオーラ)だけで400種を数えており、進化の上では、スミレファミリー全体の成功と言うより、もっぱらこのスミレ属1属の成功と言ったほうがいいのだろう。
 たとえば、東北地方の水田のあぜに群れ咲くツボスミレ(ニョイスミレ)を見ると、その理由がよくわかる。ツボスミレは人間の水田耕作に随伴するようにその生息範囲を広げてきたのである。ツボスミレは白い花弁の一つ(唇弁)に、赤紫色の文状の筋が入っている。小さい花だが、かがみ込んでのぞき込むとなかなかの色白美人である。いかにも東北の水田に似つかわしい。とは言え、その群生はなかなかのもの。色白美人の大パレードなのである。
 フモトスミレは、おもしろいことに、人の歩く道をその生息地としている。奥多摩の大岳山などには、春たけなわの頃、登山者のためにつくられている木の階段の陰に、上手に人に踏まれないようにしながら、点々と花を咲かせるのである。フモトスミレは、人のあまり入らない荒れ地や樹林には、まったく姿を見せない。人が開いた道際に咲くのである。


2_2 エイザンスミレ=奥多摩・御前山 

 ◆スミレの進化。繁殖戦略の成功◆

 スミレの進化的な成功には、スミレの受粉の方式が非常に柔軟であることが寄与したと考えられている。
 実は、スミレ1属には、春先から初夏にかけて花を開くあのスミレの花のほかに、この花が終わってしばらくしてから、夏の頃にひっそりとつける花がある。花は花なのであるが、咲かない花である。これを「閉鎖花」と呼ぶ、花を開かないまま、花粉をつくり、自分の花粉を自分の雌しべの柱頭につけてしまう。つまり「自家受粉」。
 もちろん、花をちゃんと開くほうの花(「開放花」と言う)でも受粉はする。けれど、こちらはもっぱら「他家受粉」用の花。「他家受粉」とは、自分の花粉では受精しないで、他の花の花粉で受精すること。「他家受粉」では、異なる遺伝子をもつ花どうしがかけあわさることになるわけだから、それによってつくられる種子は、遺伝的多様性を獲得する。
 一方の、「自家受粉」では、遺伝子は自分のものだけ。つまり、こちらはいわば自分の「クローン」をつくるようなものである。

 これはどういう意味があるか。
 天候が順調で、春先もちゃんと日が照り、雨もほどほどであるような年には、スミレは、たくさんのエネルギーを手に入れられるので、ふんだんに、いわば贅沢にエネルギーを使って花を咲かせ、花粉を運んでくれる虫たちを誘うための甘い蜜をたくさんつくって、花の奥の方に蓄える。
 こうして、送粉者たちが媒介したことによってつくられる遺伝的多様性の豊かな次代の種子を準備することができる。
 けれども天候が不順だったり、異常気象に見舞われて、充分な日照を手に入れられないときはどうするか?
 エネルギーを徹底的に節約するのである。
 遺伝的多様性の維持、獲得は一応置いておいて、子孫をつくることだけに専心する。贅沢なことは言っていられないから、とにかく最小限のコストで花を付け、最小限のコストで種子をつくる。それが「閉鎖花」である。
 せっかく「開放花」を開いて昆虫を待っても、あるいはその昆虫たちに異常事態が発生していて、「他家受粉」がうまくいかないこともあるだろう。長い、長いスミレファミリーの歴史には、そのようなことは何度もあったろう。
 そのときのための「閉鎖花」である。
 スミレ科の植物の最古の現存する化石は、今からおよそ3千万年以上前までさかのぼれるそうである。その3千万年を超える進化の歴史が開発した繁栄の戦略がこれ。この二段構えの受粉作戦こそ、スミレ1属の成功の秘訣であった。


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ナガバノスミレサイシン=奥多摩・御前山


 ◆スミレは随伴植物として成功した◆
 
 さらにもう一つ、彼らには特徴的な繁栄戦略があった。
 彼らはできうる限り人間の生活圏にぴったりくっついて、自らの生息域を拡大しようとしてきたのである。それによっていっそうの種の繁栄を追求する、というしぶとい戦略である。開放花と閉鎖花という二段構えの受粉戦略と、人間の活動域に積極的に随伴するという戦略の二つは、彼らの繁栄にとっては、両輪の車であった。鬼に金棒だったのである。
 それが先に書いた田のあぜのツボスミレたちの成功、というわけである。
 けれども、人間世界への随伴戦略ゆえに、種の存亡の危機に瀕しているスミレもある。たとえばスミレ愛好家には「マンジュリカ」と呼ばれて好まれるすっぴんの「スミレ」である。この種は、都市圏では最近あまり見られなくなった。特に大都市近郊では、この「スミレ」の自生種をまったく見かけることがない。あんまりにも人間の活動圏に間近に随伴しすぎて、かえって種の維持を危うくしてしまったように思われるのである。とすれば、人間の生活域があまりにも人工化されてしまったことが災いしているのであろう。
 今、住宅のコンクリートが打たれたところと道路との間の細い隙間など、人間の生活域の悪条件下で顔を出すスミレは、「ノジスミレ」という種がほとんどである。これは、色といい、形といい、「スミレ」によく似ているので間違えることも多いが、よくのぞき込むと、その花影には「スミレ」のようなりんとした風格が足りない。こちらのほうが「スミレ」より匂いが強いと言われているが、匂いのほとんどないものもあるので、違いを見分けて同定することはかなり難しい。
 とは言え、「ノジスミレ」が街中でよく見られるのは、こちらのほうが「スミレ」よりも、人工的環境にわりあい強いからであろう。「スミレ」はもう少し野生的な環境が好みのようである。
 スミレ=viola mandshurica(ウィオーラ・マンジュリカ)は、「満州の」という意味の形容詞が種小名の植物。今では死後となった植民地名の「満州」であるが、実はこんなところに残っていた。学名はいったん決めると、変えることができないのがきまりであるので、この名は将来も残る。
 ノジスミレ=viola yedoensis(ウィオーラ・エドエンシス)は、「江戸産の」という意味の形容詞を種小名にもつ。それだけ市街地に適応できる種であるということであろうか。


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ニョイスミレ(ツボスミレとも)=丹沢三ノ塔尾根にて。


 ◆スミレには大きく分けて二つのタイプがある◆

 スミレには、地上茎のあるタイプと地上茎のないタイプとがある。
 地上茎のあるタイプとは、根から茎が出ていて、その茎から葉や花が出ているものである。普通に見られる植物のタイプと言ってもいい。一方の地上茎がないタイプはつまり、その茎がなく、葉や花の茎が直接根から伸びているものをいう。
 
 地上茎あるタイプの代表が、タチツボスミレ。学名はviola grypoceras(ウィオーラ・グルポケラス)。grypocerasはギリシア語起源の言葉を二つ組み合わせたもので、「鍵のある角の」という意味を持つ種小名である。花の後ろに伸びる距の形から命名されたようである。
 タチツボスミレには変種や品種が多い。牧野富太郎が、箱根の乙女峠で発見してオトメスミレと名づけた白い花を咲かせるものもあり、各地でそれぞれの土地に適合した多様な姿を見せる点でも、おもしろい種である。さらに、交雑種を作ることが多いことからも、日本のスミレ属の進化の中心的な役割を担っていると考えられる。


02_4 タチツボスミレ=丹沢山地にて。地上茎のあるタイプである。

 スミレサイシンとフモトスミレは地上に茎がなく、直接根から葉や花が出るタイプである。
 ここに掲げたスミレサイシンは、主に北陸、東北の日本海側の雪の多い地方に分布するもので、上高地で撮ったもの。関東地方から九州にかけての太平洋側に分布するのは、葉が長いタイプの、ナガバノスミレサイシンである。スミレサイシンの「サイシン」は「細辛」で、漢方薬の「細辛」に葉形が似ていることから名づけられたもの。
 学名は、viola vaginata(ウィオーラ・ワギナータ)で、種小名は「さや状の」という意味の形容詞。托葉がさや状になっていることから名づけられた。


04 フモトスミレ=御前山にて。登山道に沿って咲くことが多い。

 フモトスミレは先に説明したもの。
 和名に「麓」がどうしてついたのかはわからない。小型ながら気品があって愛らしく、ぼくの二番目に好きなスミレである。学名はviola siebodi(ウィオーラ・シエボルディ)で、何とあのシーボルトの名が冠せられている。シーボルトが標本としてライデン大学に持ち帰ったものの一つなのであろう。
 これが二番目であるから、一番好きなスミレのことを書かねばなるまい。それはアケボノスミレという種である。写真は、フォト欄に掲載しておくことにした。このアケボノスミレはスミレサイシンの仲間で、ほのぼのとしたピンク色が、ぼくにはほのかに恥じらう乙女に見えるのである。葉が開くか開かないかで、もう花を咲かせるのもこのスミレの特徴で、その人気は高いようである。早春のスミレの代表であろう。


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アケボノスミレ=最も美しいスミレの一つ。奥多摩に多い。
 
         生藤山にて。

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