2014年11月1日土曜日

●秋の山にはリンドウとトリカブトがよく目立つ●

 近頃、といってももう十年にはなる。丹沢や箱根、奥多摩、日光などに秋のリンドウがよく目立つようになってきたのは。いや、リンドウよりもふえているかに見えるものに、トリカブトがある。丹沢や箱根など関東山地のトリカブトはたいていがヤマトリカブトなのだが、秋と言えば、たいていリンドウと並んで頻繁に見る。

 けれども、リンドウが日当たりのよい草地やカヤトの尾根に多いのと比べると、トリカブトはどこか陰気だ。半陽性というか半陰性というか、まぁ見方によって呼び方が変わるというだけのことだが、まるっきりの日向にはあまり強くない。どちらかというと林床に生える。秋の日ざしがまだ強い時季にも平気で、その青紫の筒型の花冠を真っ直ぐに天に向けて花開いているリンドウと比べると、トリカブトはいかにもうら寂しいところに咲く。ちょっと光に対してはすねているような感じもしないでもない。それでいて、ひょろひょろと上背ばかりを伸ばして、日当たりのほどほどのところだとぎっしりと花をつける。
 たぶん、こういうことなのだろう。
 トリカブトはかなりの日ざしの少ないところでも、育ち、花をつける。日ざしにまったく恵まれないところでは、育たないが、ほんの少し日ざしが差し込む時間帯を得られる場所ならば、育つ。花を咲かせる。背丈が伸びないところでも、矮化植物と思わせるような背丈でとりあえず花をつけることができる。けれども最悪の場合がそれで、トリカブトにはトリカブトの好みの日向があるのであろう。つまり堅いことばで言えば、日照の条件である。その条件の幅はかなり狭い。日照はある程度。ほどほど。そして強い日射は×(ぺけ)である。
 ぼくの経験では、疎林の林下。その疎の程度もわりあい好みがうるさい。夏の直射日光は絶対避けたいが、明るい林下でなければならない。間接照明付きの落葉広葉樹林とでも言えばいいだろうか。ときおり風に揺れる葉の表裏をちらちらとひらめかせて。


 一方のリンドウといえば、これでは喉が渇こうというような枯れかけた乾いた草地に長い花茎をのばして、くねくねと草をよけながらようやく草の茂みを抜け、花茎伸びとげた最後にはきちんと太陽に向かって真っ直ぐに立ち上がる花冠である。根は深いカヤトの草むらにおおわれていようとも、日の降り注ぐ空隙までしかと伸びとげるのである。カヤトの草むらの中に空隙は少ないから、おのずと顔を出したところは山道となる。山を行き交う者にはだから、リンドウは秋の道の同行者のようにいたるところに花を突き出す。
 トリカブトは根に毒がある。蝦夷地のトリカブトの根にはヒグマも必殺の猛毒がある。アイヌはこれを矢の先に塗って使ったという。しかも、トリカブトは茎にも葉にも毒は根ほどではないにしてもある。


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ヤマトリカブト(Aconitum japonicum)


●リンドウとセンブリのこと●

 一方のリンドウには毒はない。
 むしろリンドウは良薬である。「口に苦い」というあの良薬となる。用い方はセンブリと同じ。センブリは「千振」。千回振り出してもまだ苦いという意味である。リンドウも同様、これもすこぶる苦い。漢字で書けば「竜胆」、龍の肝ほどに苦い、ということである。どちらも、地上部が枯れかけた頃の根を掘り出して天日に干す。これを煎じるとどちらもまた胃腸の薬となる。そのはずである。リンドウもセンブリも同じリンドウ科の植物。リンドウはリンドウ科リンドウ属。センブリはリンドウ科センブリ属。つまり属が違う。花もリンドウが筒型なのと比べてもセンブリは大きく花冠が四裂または五裂するため、筒型にはならない。また花冠の基部にセンブリでは蜜腺がある。


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センブリ(Swertia japonica)


 ラテン語学名も、属名はどちらも人名から。センブリ属は“Swertia(スウェルティア)”で、オランダの植物学者Emanuel Sweert(エマニュエル スヴェエルト/1552~1612)に捧げられたもの。詳しいことはわからないが、ナチュラリストの人名録には「オーストリアのルドルフ2世に仕え、この皇帝のためにヨーロッパの初期の植物図譜のひとつ“Florilegium(フロリレギウム)”=「花植物誌」を1612年から1647年に渡って出版した。」とある。
 けれども、リンドウ属の“Gentiana(ゲンティアナ)”については、いささか述べることができる。これは現在のアルバニアの地域にかつてあったといわれるイリュリアという国の最後の王の名によったものである。イリュリア王ゲンティウスは、マラリアに苦しむ自国の将兵のためにと、良薬を探しに山野を歩き、ようやく見つけたのがこの胃腸に薬効のあるヨーロッパのリンドウであったというのである。そのリンドウは、日本で見られるものと違って花は黄色。英名も“yellow gentian(イエローゲンティアン)”。学名も“Gentiana lutea(ゲンティアナ ルテア)”で、日本産のものとは種類が違う。ちなみに“lutea(ルテア)”は「黄色い」という意味のラテン語。ゲンティウス王は、紀元前165年、ローマ軍に敗れて、ローマに連れて行かれたのだという。

 日本産のものは、“Gentiana scabra(ゲンティアナ スカブラ) var. buergeri(ワル ブエルゲリ)”で、基本種“Gentiana scabra”の変種とされている。基本種の種小名“scabra”は「ざらざらした」という意味で、葉の縁に細かなノコギリ状の切れ込みが無数にあり、さわるとざらざらするところから名づけられた。この基本種は中国大陸から朝鮮半島にかけて分布し、日本産は葉の縁の微細な切れ込みが少ない。変種名の“buergeri”は“Buerger(ブエルゲル、英語読みではバーガー、「バージャー病=“Buerger's desease”=閉塞性血栓性血管炎」というのがあるのであるいは「バージャー」か。生まれ故郷のドイツ語風に読めば「ビュエルガー」か「ベルガー」あたりが近いのだろう。、だが、この病名のLeo Buergerは1879年オーストリア生まれでアメリカに渡った泌尿器科医。この変種名とはかかわりがない)”という人名の属格だが、このバーガーあるいはバージャーあるいはビュエルガーなる人物については不詳である。


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リンドウ(Gentiana scabra var. buergeri)


●トリカブトやリンドウはシカが食べない●

 シカがトリカブトを食べないのは当然である。先にも述べたように、トリカブトは毒となるアルカロイド成分を主に根に蓄えているが、葉や茎にも少量ながらある。そのため、シカは決して食べない。これは、バイケイソウやコバイケイソウについても同じで、こちらはユリ科の毒草である。春先若い葉を湯がいて食べるアマドコロと間違えて食して、瀕死の重体になる人が毎年出る。場合によっては死ぬこともある猛毒である。こちらもアルカロイドであるが、たとえば丹沢の大室山や檜洞丸、蛭ヶ岳、丹沢山などに登ってみると、頂上付近一帯にはこのバイケイソウの大群落ができているのを見る。その中にひょろひょろとヤマトリカブトが伸び出している。もう、この二種類しか見ることができないのである。
 それほど、シカの選別にあって食べられずに残されてきてしまった。

 シカはたとえばクガイソウの花などは好んで食べる。

 日光ではクガイソウがシカに食べられて全滅したことがあった。全滅したことによって、クガイソウをその幼虫が食草としていたコヒョウモンモドキが日光で絶滅した。植物のほうは種子や根が地中に残っていると、数年後、十数年後にも芽を出し花を咲かせる能力を持っているが、昆虫はそうはいかない。シカ防護柵の設置でクガイソウは日光に戻ってきたが、あのチョウは永遠に戻ってこない。あるいは他の地域で繁殖させたコヒョウモンモドキを連れて来たにしても、日光をふるさととするコヒョウモンモドキは永久に存在し得ない。


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ウラギンヒョウモン(=コヒョウモンモドキの仲間)タテハチョウ科


●丹沢ではフジアザミもシカに食べられる●

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フジアザミ(Cirsium purpuratum)


 フジアザミといえば、丹沢や箱根、あるいは南アルプスなどに見られるアザミ。アザミ属の中では日本最大の花の大きさを誇る。アザミは、一つひとつの花びらと見えるものが実は一つの花で、無数の花が集まったものが円形の頭花を形成している。その周囲に総苞片がうろこ状になったり煉瓦状になったりしてびっしりとつく。フジアザミではこの総苞片は縁に鋭い棘をもっていて、棘ごと大きく上に反り返る(というより跳ね上がった感じがする)。
 フジアザミの名は、本種が採取されたエリアがいずれも富士山麓のものであったことから、命名者のマキシモヴィッチが富士山麓の特産種とみなしたからであったが、実際は富士山をとりまく山地だけでなく、日光、八ヶ岳、戸隠などもでも見ることができる。荒れ地に咲く一種のパイオニア植物で、日当たりのよい崩壊地や砂礫地には積極的に進出する。フジアザミが常時見られるエリアはつまり、常時土壌が安定しないことを示しているとも言える。
 学名は“Cirsium purpuratum(キルシウム プルプラーツム)”で、アザミの仲間が静脈瘤(cirsion)の治療に役立ったことからつけられた属名であるという。また種小名の“purpuratum”は「紫色の」という意味で、花の色からつけられたもの。この学名をつけたマキシモヴィッチはロシアの植物学者で、日本の明治の若者、長之介の献身的な手伝いで、多くの植物標本をもとに学名を命名している。なかに「チョウノスケソウ」というバラ科の高山植物があるが、これはマキシモヴィッチが長之介を記念してつけた和名であった。学名は“Dryas octopetala var. asiatica(ドリアス オクトペターラ ワル アシアティカ”。基本種は西シベリアからヨーロッパにかけて分布する氷河期(ドリアス氷期)の生き残りといわれる花。日本や朝鮮半島、カムチャツカ、樺太には、そのアジア変種“asiatica”が分布する。日本では高山にはい登ってようやく温暖になった気候から何とか生き延びたものである。このような氷期の生き残りをレリックまたはレリクトとよぶ。
 さて、このフジアザミ、丹沢などでは、花茎の先がぶつんとちぎられて、その先の頭花がないものが、ときおり見られる。いや、かなり頻繁と言った方がいいかもしれない。シカが食べるのである。しかも好んで食べる。あの鋭い棘のある総苞片も一緒に茎の先からぶっちぎって呑み込むらしい。ぶっちぎるというのは、彼らシカたちには犬歯がないから、あの挽き臼の役割のために生まれた臼歯でかんで、無理矢理引きちぎるのである。あの棘痛くないのだろうか? ぶった切られた花を惜しむより、荒れ地に強いたくましいフジアザミに同情するより、シカの口の中の心配が先に来る。きっと痛いのだろう。ちくんと刺さったらあるいは血も出るかも知れない。それでも彼らは食べる。好んで食べる。花粉も蜜もたっぷり。フジアザミが大きな根生葉を、春から夏の強い日ざしに開いてせっせとため込んだエネルギーのすべてを注いで咲かせた花である。栄養価の低かろうはずがない。
 シカはたいてい、草原では草の種類を選ばない。いわばブルドーザー式に周囲の草をがりがりはぎとるように、ばりばりかみちぎるように無差別に食べる。栄養価を問わないのである。問わないから、たくさん食べる。大人のオスのシカなら、毎日5キロの草を食べる。けれども山の秋には草は少ない。根こぎで食べるから、残っているのはシカにはもうけっして食べることのできないバイケイソウ、トリカブト、そしてリンドウばかりなのである。たぶん、食べるものに事欠いたあげく、フジアザミの花を食べることを覚えたのだろう。同じフジアザミでも、葉は無理。葉の縁に鋭く堅く突き出している棘は、どうしたって食べられることを拒絶している。いかにも攻撃的な葉である。総苞片の持つ棘までがシカの受苦限度、忍耐の限界。葉を食べるか花を食べるか、どっちにする? と聞かれれば一も二もなく花、に決まる。
 食べられても、食べられてもまだ、フジアザミの方は受苦限度内らしい。翌年もこちらの心配をよそに、やっぱり花を咲かせてくれている。


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花を食べられたフジアザミ(丹沢表尾根で)=中央の茎の先がちぎられている。

 山の秋とシカ。
 食べられる花と食べられない花。そうして、山の植生が年々変わっていくことには、心配の種が尽きない。丹沢の鹿柵の中ではたしかに、クガイソウが復活したという報告がすでに何度ももたらされていはいるけれども、植生復活にはさらにそれにともなう昆虫やそのほかの生物たちのことも考えなければ、手を打ってよかったよかったとは言い切れないのである。
 山の秋が来るたびにやっぱり今年もため息が尽きない。

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