2014年11月10日月曜日

●「十字架の道行き」と花の名●



 キリスト教の「復活祭」は毎年変わりますが、だいたい4月に迎えます。遅くとも5月初旬、早くとも三月下旬。そしてその前の金曜日は「聖金曜日」で、イエスが十字架上で亡くなられたことを偲ぶ日であります。イエスが十字架上で亡くなられる前には、十字架を自ら背負わされて、カルワリオへの道を歩まれました。「カルワリオ(Calvario)」はラテン語で、「されこうべ、頭蓋骨の地」の意味です。正式には“Calvariae locus(カルワリアエ ロクス)”と言います。ヘブライ語では「ゴルゴタ」。

 さて、この道行きの途上で、イエスはさる婦人に出会います。
 このことについては、『新約聖書』のいずれにも書かれていません。ただ、四旬節の間に行われる「十字架の道行き」の祈りには、この婦人のことが現れています。この「十字架の道行き」は全部で15の場面に分けられています。その第六番目。


 「イエス、ベロニカから布を受け取る」という場面です。
 ここで、血だらけになっているイエスの顔をぬぐいます。けれども、ぐいぐいと力強くぬぐうのではなく、そっと顔に押し当てるように、その血を布に吸わせます。あまりにも痛々しいその顔には、そっと当てるほか方法はなかったのでしょう。
 こうして、「イエスの御顔のままに御血でかたどった聖布」=「ベロニカの布」がどこかに存在するというのが、キリスト教の伝承として残りました。あくまでもイエスにまつわる伝承の域を抜けるものではありませんが、まことしやかに信じられてきたことも事実です。「十字架の道行き」が始まったのはずっと後の時代ですから、そのとき、作られた物語であったのかも知れません。




 ところで、ここは「自然誌」がメイン・テーマですから、その本題に入りましょう。



Macro01
ミヤマクワガタ(クワガタソウ属/ゴマノハグサ科、尾瀬ヶ原)



 さて、この伝承のベロニカにちなんだ属名をもつ植物があるのです。とはいえ、日本語で属名を書いても、なんにもなりません。ここはラテン語属名を書かねば、話が続かないのです。
 それが、あのご婦人の名前がつけられた「ベロニカ属」なのです。日本語表記には反映されていませんが、その綴りは“veronica”。ラテン語読みでは「ウェロニカ」になるのですが、英語読みすると「ヴェロニカ」となります。クワガタソウ属は“veronica”なのです。ヨーロッパのクワガタソウ属の花に、血でかたどったイエスの顔を思わせるものがあるようですが、ぼくは残念ながらその花がどれであるかを知りません。
 手元にあるイギリスの植物誌“Flora Britanica(フローラ・ブリタニカ)”などで見る限り、ヨーロッパには、ここに写真を載せている「ミヤマクワガタ」と同種のものはないようです。よく似たものに、“veronica montana(ウェロニカ・モンタナ)”がありますが。


 ついでながら、クワガタソウ属の花を英語では“speedwell(スピードウェル)”と呼びます。この場合の“speed”は「スピード、速さ」の意味ではなくて、これから旅立つ人に手向けるときに使う言葉です。“God speed you !”などと使います。「神のご加護を祈ります」とか「ご成功を祈ります!」と言うほどの意味でしょうか。
 ヨーロッパの代表的な種には、“Germander Speedwell(ジャーマンダー・スピードウェル)”というのがあり、アイルランドでは、この花をその衣服に縫いつけてその人の幸福を願うという習慣があったそうです。ヨーロッパでは別名“Bird's eye”(「鳥の目」)や、“Eye of the Child Jesus”(「幼きイエスの目」)、“Farewll(フェアウェル)”(「さようなら」)というものなどがあります。日本でよく見られる「オオイヌノフグリ」によく似た真っ青な花を咲かせますので、和名では、「ヨーロッパイヌノフグリ」とでも呼べばいいでしょうか。 でも、「イヌノフグリ」は「犬の殖栗(ふぐり)」、つまり「犬の陰嚢」という意味の名前です。日本とヨーロッパのネーミングの感覚の、この天と地ほどの違いは、どこから来たのでしょうか?
 花の青さを、「天上の青さ」と見る感覚が、この花が幸運をもたらすことを思わせたのでしょうか? ヨーロッパでは、花の青さは空の青さ、天の青さになぞらえられます。日本の高山に咲くミヤマハナシノブという花の母種はヨーロッパにあるのですが、その学名は、天の青さを思わせる名になっています。“Polemonium caeruleum(ポレモニウム・カエルレウム)”。“Polemonium”は和名では「ハナシノブ属」です。“caeruleum”は「天の」という意味です。この学名もまた、花の色が天の空の色を思わせることによります。
 ハナシノブは英語名は、“Jacob's Ladder(ジェイコブズ・ラダー)”、つまり「ヤコブのはしご」と言います。ハナシノブの葉の様子がはしごに似ていることから名づけられました。この「「ヤコブのはしご」は、『旧約聖書』の『創世記』28章にある「ヤコブの夢」に出てくるはしごにちなんで名づけられたものです。



 「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって延びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。」(『創世記』28章12節)



Image350 
ミヤマハナシノブ(北岳/白根御池付近)




 日本名「オオイヌフフグリ」は、学名では“Veronica persica(ウェロニカ・ペルシカ)”と言います。“persica”は「ペルシャの」という意味ですから、「ペルシャからやってきた花」と言う認識だったのです。日本では明治時代半ば頃に、日本にも存在することが確認されました。ヨーロッパからの輸入品に混じって、明治の早い時期に日本にやってきたようです。日本在来の「イヌノフグリ」は、この「オオイヌノフグリ」の蔓延によって、絶滅寸前になっています。外来種ですが、日本ではいたるところに見られます。特に畑地の近辺、あるいは休耕田、放棄された田畑にはふつうに見られますし、春一早く花を咲かせますので、日本ではこの花は春を告げる花の一つになっています。 

0 件のコメント:

コメントを投稿